堀江くらはが一筆書きするブログ

息抜き中心。一発で書いてドーン。過度の期待はしないでください。

メンヘラってどんなに頑張っても結局理解されないのではないかという虚無感

http://anond.hatelabo.jp/20140802014307

この記事をみて思ったこと。別に批判とかではないです。

 

こういう記事を見ていると、結局鬱病や他のメンタルヘルスへの理解って、将来今よりは広がるかもしれないけれど「鬱は甘え」とか「鬱は社会人失格」みたいな風潮は根強く残ってしまうのではないかなぁ、って思ってしまう。ため息が出る、虚無感に包まれる。やるせない。

 

僕自身小学一年生の時にうつ病になって、高校途中まで服薬していた(今はしてないです)。だけれど家族の理解が得られていたといえばそうではなく、家族は鬱の人をバカにするような発言をよくする。

 

なんとなく、「社会人としての自立」って言葉の中にはメンヘラを排除するような考えが内包されているように思える。学生時代に左翼活動をしていた人が、社会人になった瞬間「当時の俺は若かったんだよ」というのとメンヘラ叩きは似ている。社会で生きていくうちに現実の厳しさを知って、幻想を捨てたのだと彼らはいうだろう。

そして彼らは若い左翼にいう「社会にでたら変わってしまうよ」と。僕もこういうことは言われたことがあるし、周囲にも多い。中には社長さまに「社会に出ればニュースなんかより仕事のことを考えるようになる。それが大人になるってことだよ」って言われた人もいる。

 

この「大人になる」って言葉の中に「厳しい現実と向き合い甘えを捨てる」という意味がある。そしてそれは現代の厳しい経済社会を生き延びるには必要な考え方なのだろう。生き延びるためには甘えてはいけない。この考えがシステムによって多くの人に強要されているのかもしれない。

 

仕事というのはチームプレーだ。人間関係が少ないと言われている僕達フリーランスの仕事でもそれは変わらない。僕の場合、一番下っ端に僕みたいな書き手がいて、上に編集さんがいて、その編集さんの上にも上司がいて……編集時にも編集さんには部下がいて……ってな具合にたくさんの人が一つの仕事に関わってくる。同じ会社で過ごすなら人間関係はより一層重要になる。

 

だから仕事の中で誰かに甘えられると困る。チームメイト全員に迷惑がかかってしまう。だから社会人の人たちは自分は甘えられないし、甘えている人を叩く。あたり前のことだ。

じゃあチームメイトに鬱の人がいたらどうなるか? その人と同じ仕事に関わる人に迷惑がかかってしまう。だから鬱は甘えだといってメンヘラは仕事場から排除される。

 

これは個人の権利を無視した考え方だ。という声がある。僕もそう思う。でも現実の経済はそうやらなければ回らないようになっている。現状のシステムが改善されない限り、この問題は解決しない。

 

もしかしたら、ワークシェアリングとかがどんどん広がっていけばこういう問題は解決するかもしれない。でも、もしかしたら鬱の人に仕事を振ることがリスクだっていう流れが出てきて、まったく改善されないかもしれない。

 

鬱の人には生きにくい時代なのに、その時代が鬱病を量産している時代だ。だからこそ、こういう問題について真剣に考えることが望まれている。

でも、考えるのは当事者だけというのが一番の問題なのかもしれない。


追記

ベーシックインカムは確かにいいかもしれないが、あれにはあれで思うところがあるのでまた今度記事にしますね。

 

 

仕事休んでうつ地獄に行ってきた
 

 

 

仕事は楽しいかね?

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