堀江くらはが一筆書きするブログ

息抜き中心。一発で書いてドーン。過度の期待はしないでください。

経済社会と人の善意~ルノアールの緑茶~

僕は今、池袋の喫茶店ルノアールにいる。家で仕事をしていると集中力が散漫することが多いので、喫茶店で仕事をすることが多いのだが、特にこの店はwi2も通っているし、他の店と比べて騒がしい学生もいない。長居してもお茶をだしてくれるお陰でいくらいようが罪悪感が沸いてこない。僕は人目があった方が集中できるからあまり使わないが、場所によっては仕事用のスペースが設置されていたりする。池袋の駅近くにあるルノアールがそうだ。以上の点からルノアールフリーランスノマドワーカーにとって恰好の仕事場だといえる。個人的には人がいるのに比較的静かというところが高評価だ。

 

僕は今、依頼された原稿を書き終えて2杯目のコーヒーを飲みながらタバコを吸っている。仕事も終わったし今日はもう帰ろう。電車にのる前に楽器屋と本屋によっていこう。近くにゲーセンもあるからウル4でもやるか……とこれからどうするかについて考えていた。

だからもうPCはバッグの中にあって、帰宅してからブログを書こうと思っていたのだけれど、今こうしてブログを書いている。数分前に聞いたスーツ姿の二人組の会話が原因だ。

(僕は人の話に聞き耳をたてる癖がある。悪い癖だとは分かってはいるが幼少期からの癖なのでなかなか直すことができない。

この癖のお陰で、マックで女子高生が……的なネタの多くは作り話ではないと思っている。本当に、彼女達の会話は面白い)

 

前述の通り、ルノアールではコーヒーを飲み終えると緑茶が出てくる。これは店からの粋な計らいで、「もう少しゆっくりしていってください」のサインなのだと僕は解釈している。他の喫茶店にはない、ルノアールならではのサービスだ。

スーツ姿の二人組にもお茶がでてくる。二人組の内、一人は上司と思われる中年男性で、もう一人は新入社員ではないけれどまだ20代といった感じの青年だ。

 

ウエイトレスのお姉さんがバックに戻ると、青年の方が口を開く。

「なんか、このお茶を出されると、『飲み終わったら帰れよ』って言われている気がするんですよね」

上司が「そんなの気にしすぎだろ」と軽くあしらう。

「そうですね。回転率あげたくても、僕達はお客ですものね」と青年が言って会話が終わる。そして二人はさっきまでしていた仕事の話に戻る。

 

この短い会話を聞いていて、僕はちょっと衝撃を受けた。僕が店側の善意として捉えていた行動が、青年には悪意として映っていたのだ。

 

店側の意図が分からない以上、僕と青年のどちらの考えが正しいかは分からない。しかし、ルノアールという店の性質上、回転率はそんなに重視していないのだろうから、長居してもいい居心地のいい空間を作るのが店側のマーケティング戦略であると予想される。

それでも青年が京都で出されるお茶漬けのように、緑茶を早く帰れのサインとして受けとるのには(彼がマーケティングに興味がないからではなく)資本主義的な考えが根っこにあるのではないかと考えてしまう。

 

資本主義的な考えは、合理的な思考と言い換えることもできる。店側は利益を最大化するための行動を取る。店側は利益を出すためには製品を多く買ってもらわなければいけない。だから喫茶店では新しいコーヒーを頼まずに長居するような客は混雑を生むだけで店側の利潤を低下させてしまう。だから次の客をいれるためのスペースを確保するためにも早く帰ってもらいたい。そこでルノアールが生み出したのが緑茶作戦であると青年は考えたのかもしれない。

もちろんこれでは空いているときに緑茶が出されることは説明できないし、繰り返すようだがルノアールという店はドトールやスタバと違うのだから回転率はさほど重視していない。だからこのケースをルノアールに当てはめることはできないと思う。しかし、飲食店の多くは回転率を重視するので、青年がルノアールも同じだと考えるのは不思議ではない。

この時青年は店側の善意を想定してはいない。あるのは店側の都合と、それに抗う「お客様」という自分の立場だけだ。

 

現代人は資本主義的な考え方の中に善意を見出すことができなくなてきているのかもしれない。どんなサービスであれ「結局は利益のためでしょ」と言ってしまえばそこから善意なんて消え去ってしまう。

僕達は経済社会の中で生きているうちに、本来経済は人対人で回っていることを忘れてしまい、システム対自分で動いているものと思っているのかもしれない。

 

これは僕の経験なのだが、コンビニの(かわいい)店員さんに笑顔で「ありがとうございました」と言われたときに「でもそれってマニュアル通りの笑顔なんでしょ」と思ってしまったことがある。この時僕は、店員さんの感謝の気持ちをあり得ないものとして排除してしまっている。

問題は彼女の笑顔がマニュアルによるものか、心からでたものかということではない。僕がそもそも善意を受け取る体勢にないということだ。

同じような経験は誰にだってあると思う。

 

人間関係の中に善意を見出せなくなってしまうことはとても悲しいことだ。それが客と店員という関係であってもそれは変わらないだろう。

だから僕は、できればこんなことは僕の妄想だと誰かに片付けて欲しい。

でももし本当なら、僕達は本当に冷たくなってしまったと思うし、とても悲しい。

 

 

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