堀江くらはが一筆書きするブログ

息抜き中心。一発で書いてドーン。過度の期待はしないでください。

めっちゃ言い訳くさいんだけれど、努力は才能だと思っている(追記した)

はてなに努力に関する記事があったので、僕個人の努力に対する考え方を大雑把に書く。あまり纏っていないのでいい文章とは呼べないだろう。まぁ、チラ裏だ。聞き流してくれ。

 

僕は努力を殆どしない。今まで生きてきて必死に勉強したこともないし、スポーツも頑張ったこともない。仕事だって好きなようにやっているだけだ。

勉強に至っては、大学に入るまでは1日1時間も机の前に座ったことがなかった。駅弁大学に入って、単位を落とさないように必死に嫌な勉強をしたのが勉強でした初めての努力だ。

 

とにかく僕は好きなことだけしている甘ちゃんだ。そりゃ好きなことをやるためには嫌なことだってしなきゃならないが、なるべくそれを少なくするようにするし、そもそもそれを努力というのかすら怪しい。

 

まだ僕が中学生のころ、母は「努力っていうのは忍耐だ。嫌いなことを真正面から受け止めて、突破するために打ち込むことだ。姉を見なさい。あれが努力よ」と口を酸っぱくしていった。そして、「くらはのは努力とは言わない。あなたは好きなことのために嫌なことをしているのを努力だと思っているだけ」と毎回続けた。

異論はあると思うが、僕は母の努力論に同意している。そして、僕は努力ができず、姉は努力ができる。これも事実だ。

 

姉は本物の努力家だった。中学高校と毎日学校から帰ってきたらずっと勉強をしていた。特に苦手な数学を「もうやだ。辞めたい」といいながら、時には「もう大学なんか行きたくない」と弱音を吐きながら。僕はそんな姉を見てただただ感心するだけだった。そして姉の努力は実を結ぶ。いい大学に行き、いい企業に就職した。姉はいうのだ「努力がようやく実を結んだ」と。

 

僕には姉の真似は絶対できない。目標があったとしても嫌なことを進んでやるなんてできやしない。今まで何度も姉の真似をしようとしてみたが、その都度ついつい抜け道を探してしまう。

タイトルにある通り、僕は努力を生まれつき持っている能力=才能だと思っている。とくに根拠があるわけじゃない。ただ、姉の真似を僕ができなかったというだけの理由だ。これは単なる言い訳だろうし、子供っぽい意見と映るかもしれない。でも、実際努力をしたくてもできない人ってたくさんいると思う。

 

だからどうしても、努力を強制される社会が好きになれない。努力をしなければ成功しない。お前が底辺なのは努力をしなかったからだ。こういう言葉は、努力の才能がある人から発される暴力的な言葉だと感じてしまう。

 

今の社会はどんどん抜け道が増えてきた。これからもっと増えていくだろう。そうなっていけば、母のいうような努力をしなくても幸せに生きていける人は増えていくのだろうと期待している。

 

追記

別に僕は努力できないのを言い訳にしてるつもりはない。抜け道を探して生きてきたことに後悔はしてないし。ただ、そういう生き方に否定的な人が多いのかな、と思うだけだ。

色々なコメがついているけれど、まず「努力」という定義の定まっていないものがテーマになっている時点で色々な意見があるよね。とりあえず思考の種、議論のテーマになったならよかったと思う。

 

 

 

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