堀江くらはが一筆書きするブログ

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友人「社会について考えると虚無感に襲われるようになった」

池袋のルノアールにて旧友に会った。高校~大学まで一緒だった友人だけあって、久しぶりに会うのにそんな気がしない。普段通りの楽しい会話が続く。

そんな中、友人が「最近政治とか、社会とかについて考えると虚無感に襲われる」と口にした。

友人はもともと、社会・政治に対して関心があった。ちょっとネトウヨを齧った時期もあったが、それも卒業していた。知識も僕なんかより遥かに持っていたし、SNSでもたまに政治について呟く。そんな人だった。

 

今ではそんな彼も普通の社会人。結婚もしている。会社での地位はそれなりで、昇進も期待できる。そうなると身近なことに思考のリソースが奪われる。だから政治に対する関心は薄れてしまうのだろう。

また、社会人になると自分の小ささを目の当たりにすると友人は言った。それが虚無感の原因だそうだ。学生時代は自分が社会を変えられるのではないか? という背伸びした考えがあったが、社会に出てしまうとそれがなくなる。手近なことで手一杯なのに自分一人の力では社会を変えるなんて到底不可能だと改めて思い知らされてしまう。

また、分かっていたことだけれど社会に興味のない社会人の多さにもやるせなさを感じてしまう。選挙に行かない人も多い。自分が社会について考えても無駄なんじゃないかという思いに囚われてしまう。

 

友人の話を聞いて少し悲しくなったが、同時にそうなってしまったのも仕方がないと思った。

僕は仕事で社会にコミットするような記事をかくこともあるからこういう感覚に襲われることはない。でも、そうでない人は皆友人のような感覚に襲われてしまうのだと思う。そしてそうした人の方が圧倒的に多い。

 

昔は僕も「大人になれば生きている社会に興味を持つべき」と思っていた。でもそれは無茶な話だと気付いてしまった。人々が社会に興味を失ったのは不景気のせいかもしれないし、政治不信のせいかもしれない。理由はともかく、みんな自分の生活に必死なのだ。小さな社会が大変すぎて大きな社会に構う暇なんてないのだから。

 

友人のような人が増えるのは社会について損失なのかもしれない。でも、僕らが生きている社会そのものが、既にそういう風になってしまっている。

「僕らは新しいシステムへの移行期にいるのかもね」と僕が言って次の話題に移った。

 

 

 

 

 

 

 

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