堀江くらはが一筆書きするブログ

息抜き中心。一発で書いてドーン。過度の期待はしないでください。

僕たちはライターすら借りれなくなった

こんにちは。堀江くらは(@kuraharu)です。PCの買い替えに伴いブログの更新が遅れました。

 
ドトールにて喫煙者の友人がライターを忘れて困っていた。生憎僕は当時禁煙中だったためライターを持っていない。
すると友人はライターを買いに最寄のコンビニまで行くという。
「他の人に借りればいいのに」
「いや、いいよ」
「何回も人に借りなきゃいけないくらいたくさん吸うの?」
「いや、半日に一本吸えばいい」
「じゃぁ尚更人に借りれば済むじゃないか。それとも家にもないのか」
「いや、家には何個も余っているよ」
そういうと友人は席を立って歩いて5分くらいかかるコンビニまで歩いていった。その間僕は1人で待つ羽目になった。
たかが一個のライターのために、わざわざ面倒な会話をしてみたのには訳がある。一つは本も持たずに喫煙室に待たされるのが嫌だったから。もう一つが僕はほいほい人からライターくらい借りれちゃう人間なので友人の気持ちが分からなかったからだ。
 
戻ってきた友人になぜライターを借りた方が楽だったんじゃないか? と聞いてみた。
「いや、人に借りるほうが面倒じゃない?」と彼は言う。
「いやだって、5分かけてコンビニまでいって、100円払ってライター買ってるんだよ?」
「それより知らない人に声をかけて借りるほうが面倒だよ」
これでは話が平行線を辿り続けるだけなので、お互い納得しない形で話は終わった。
 
不思議に思ったのは友人は普段はコミュ障ではない。むしろリア充だといってもいい。初対面の人とでも難なく話せるし、仕事場での人間関係もいいらしく、営業成績だって悪くない。結婚だってしてる。
そんな人がたかが見ず知らずの人からライター一個を借りるときにコミュ障になる。
 
友人は誰かから物を借りることに対してコストを感じすぎている。もしかしたらそれを普通じゃないこと、もっといえば悪いことと感じているのかもしれない。
どうしてだろう?
 
別の友人にこのことを話すと彼は「俺もコンビニまで買いに行く。なんか悪いことした気になるし、人から借りるの怖いじゃん」といった。
「なにが怖いの?」
「話しかけた人が機嫌がわるいかもしれないし、ライター貸すのを嫌がってるかもしれない」
「でもそんなことは希だよね。それでも借りるより僕を待たせて5分歩いてライターを買う?」
「うん。待ってる君には申し訳ないけど、たかが5分と100円だし、いいかなって思う」
「コストよりリスクを回避したいんだね」
「まぁ、そんな感じ」
「じゃあ逆に機嫌が悪い時にライターを貸してと言われたら?」
「普通に貸すし、それでより機嫌が悪くなるとは思わない。もしかしたらいいことをしたって気も晴れるかもしれないけどそれは大袈裟かな」
 
さて、2人の友人との会話から分かったことを纏めてみよう。
 
1.友人達は人らか物を借りることを面倒だと感じている。また、それを普通でないことと思っている。
 
2.予想されるリスクを回避するためにはお金と時間というコストを払っていいと感じている。
 
3.一方彼らは、たとえ機嫌が悪くても見ず知らずの人に貸せるものは貸すし、それで事態は悪化しないという。むしろ好転する可能性すらある。
 
4.そしてそれはたかがライターであっても同じである。
 
僕は彼らは無駄な労力を払っていると思う。いくらなんでもリスクを恐れすぎていて無駄なコストを払いすぎだ。
今回はサンプルが2人しかいなかったけど、もしライターを買いに行く人が多数いたら、それは非効率な社会だと思う。
 
どうも彼らは自分の力に頼りすぎているように感じる。自分で歩いて、金を払うのがベストだと思っているのだろう。
でもそういう人ばかりの社会って、非効率だし、なんだか人間味のない社会に感じるのは僕だけだろうか? みなさんはどう思いますか?
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