僕は不条理な文学に救われた
最近ニュース関係の記事ばかりたったので完全趣味の海外文学についての記事を書くよ。
僕の一番好きな作家は断トツでフランツ・カフカだ。高校を止めて引きこもっている時から愛読しているし、大学に行ってからも多くの人に布教し続けている。
カフカの不条理な世界観に救いを求める人は多い。カフカの作品は(彼が意図してそう書いた訳ではないのに)不条理を見せることで、不条理に晒されていると感じている誰かを救う。
実際高校を理不尽な形(超長くなるから詳しくは書かないけれど、要はしてもいないカンニングを発端とした事件)で辞めさせられ、引きこもっていた僕はカフカに救われた。自分と同じようなものを見ると人は安心するし、救われた気持ちになるものだ。
「どん底を見てみよう。そこまで落ちてみよう。そうすればもう上しかない」カフカの作品の多くはそう思わせてくれる。これはドストエフスキーの「地下室の手記」にも同じことがいえる。
カフカもドストを愛読していたらしいし、カフカも同じような経験を地下室の手記でしたのかもしれない。しかし、前述の通りカフカはこの作品を弱者に捧げたわけではないと。彼がどのような意図で小説を書いたかはまだ議論されてはいるが、彼は極めて個人的な理由で小説を書いたのだと僕は思う。そう、自分を救うために(僕の解釈でしかないのでスルーしてね☆)
- 作者: フランツ・カフカ,Franz Kafka,高橋義孝
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1952/07/30
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このどん底感と少し違った形で不条理を描くのがサリンジャーだ。彼はカフカの影響を受けている。「ライ麦畑で捕まえて」では世の中を不条理だと思う青年の冒険を描いているが、ここで若い読者は奇妙な行程感を抱く。それはカフカと同じように自分と同類を見せられることからくる安心感なのだが、同時にちょっとした勇気をくれる。これはカフカにはないものだ。
確かにカフカの小説でも主人公は前に進もうとする。しかし、カフカの作品は如何せん絶望的すぎるのだ。だが、ライ麦ではグッドエンドでもないのに希望が持てる(バットエンドでもない)。それがカフカとの違いだ。
カフカの影響を受けた作家といえばカミュだが、彼の「ペスト」では不条理の中で闘い続ける人間の強さと美しさを描いている。この小説は僕に感動と生きてみようという気持ちを与えてくれた。
他にもクッツェーやオースターといったカフカ的不条理を受けついた作家は多いが、書ききれないのでまたいつか。
久しぶりに完全趣味の記事でした。