Black Life Non Sugar

またどこかで

AKB殺傷事件を見て思ったことー承認欲求を得れる人・得られない人ー

 先日のAKB殺傷事件を見て、真っ先に「あーきっと犯人には自己承認がた

てないんだろうなぁ」と思った。これはウイルスメール事件や秋葉原連続殺傷事件の時と全く同じ感想だ。
どのコミュニティにも属せなかったために孤独で、生きる意味を見出せない若者が犯罪を起こす。月並みな意見なだけに的を射ていると思う。
 
 現代社会で承認欲求が満たされている若者は三つの属性に分けられる。
 ・マイルドヤンキー(この言葉はあまり使いたくないが)
 ・ネット充
 ・意識の高い人
 の三つだ。
 マイルドヤンキーと言われる人たち(この言葉は日本に住む殆どの人たちに当てはまる言葉だと思う)はコミュニティを重視するので容易に自己承認を得ることができる。ヤンキーという言葉とは対照的に、仲間とアニメの話で盛り上がれるオタク層もここに含まれることは多い。
 
 ネット充は最近になって出てきた人種で、リアルでは友達はいないが、ネットでは友人が多く充実している人たちだ。ニートだろうがなんだろうが彼らは承認欲求を満たされているのでやけになって犯罪をおかしたりしない。大事なのはがっつりネットに入り浸っていることである。中途半端にネットに関わり、そこでも疎外されたような気分になってしまったら最期、秋葉原事件の犯人の様になってしまうだろう。
 
 意識の高い人達は承認欲求の塊であり、マイルドヤンキーと正反対の立場にある。彼らは意識が高いからとにかく人と付き合おうとする。そしてその中でコミュニティを形成して承認欲求を満たし合う。彼らが行動し続けている以上は承認欲求は満たされ続けるだろうし、もしなんらかの事情で意識が低くなっても地元に帰ってマイルドヤンキーになるのだろう。
 
 かなり大ざっぱだが以上のどれかに属する人は承認欲求が満たされている。逆にいえば、このどこにも属さない人は承認欲求を満たされておらず、孤独を社会への不満に転換し、その鬱憤をつのらせている。そしてそれが爆発する時「社会を驚かせてやりたい。自分の名を刻みたい」という名目で大きな犯罪を実行する。
 では、そういう人たちはなぜこれら三つの属性に入ることができなかったのだろうか。答えはいたって単純、彼らはあと一歩が踏み出せないから孤独に陥ってしまうのだ。
 彼らはなんらかの事情(いじめなどで)で人間関係や社会にでることに対して、極端といえるほど臆病になっている。
 過去のトラウマが外の世界に対するトラウマとなり、働くことへの第一歩が踏み出せない。かといって筆者みたく自宅にいながら働き給料をもらうのには能力が低く、人によってはそうした行動が卑怯だったり意識が高く見えてしまうためにスタートできない。人間関係においてはネットにどっぷりと浸かったり、リアルで友人と会うとなると疎外される恐れがあるから新しい関係への一歩が遠い。だから彼らのいくつく先はどこのコミュニティにも属さないという生き方で、中々そこから脱出できず鬱憤を溜めこんでいく。
 
 上では「単純」という言葉を使ったが、この問題は非常に解消しがたい深刻な問題だ。過去に起因するマイナスの感情は中々払拭できるものではない。だからといって個人の意識の問題で片づけてしまっていいものだろうか? 社会に何かできることはないだろうか。
 社会から彼らに救いの手を差し伸べることは可能だ。マイルドヤンキーにも、ネット充にも、意識の高い人にもなれないなら、新たな属性を追加してやればいい。
 ではどのような属性が社会に誕生することで孤独な人が救われるのか……
 
といったところで長くなったので続きはまた今度。
 

 

承認をめぐる病

承認をめぐる病

 

 書店で古市先生や國分先生の本に挟まれてこの本があったが、表紙が浮きまくっていたので買ってしまった。まだ読んでいない……誰か感想教えてください。面白かったら積本の一番上に来ます。普段小説しか読まないので……

 

 

地下室の手記(光文社古典新訳文庫)

地下室の手記(光文社古典新訳文庫)

 

 承認欲求といえばこの小説でしょう。僕はカラマーゾフ罪と罰よりこっちの方が好きです。なにがいいって……(一記事分にはなるので割愛。ドストとカフカについては今度単独で記事を書きます。

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